Pod Castで聴く世界のニュース
今回はシナの話題。
英BBC Global Newsから。
“Young Chinese struggle with their alphabet”
シナの経済発展が進むにつれ、世界中でシナ語教室の数も増えている。
しかし、当のシナでは、コンピュータの扱いに慣れてしまった若者が、
古くからの伝統的かつ複雑な「書く」習慣を身につけていないという問題が顕著になってきている。
上海の学校では、calligraphy(書道)の授業が必須科目となり、試験に合格せねばならないようになった。
シナ人BBCの記者が上海で取材した。
ここはcalligraphy(書道)の授業を行っているとある学校の教室。
生徒たちは黒い石で造られ、鳥のモチーフの彫ってあるシナの伝統的な机を使って授業を受けている。
墨の独特のにおいが鼻につき、それは私に小さかった頃の書道の授業を思い起こさせる。
私の住んでいたシナ南部地方では、5歳の時点で、書道は必須科目であったから。
数世紀にわたり、書道はこの国で、どんな子供でも当たり前のようにできていた。
大きな書道筆の握り方、文字を書くための上手な筆跡といったものを子供のころから学んでいたのだ。
英語やロシア語など、インドヨーロッパ言語のアルファベットと違い、
漢字の一文字一文字は意味があり、その文字の発音だけを表しているのではない。
calligraphy(書道)の先生のチェン氏はこう話す。
「書道の技術を身につけることは、今のシナの子供にとって、
これほど大事なことはない。
シナ人にとって、どのように書くかは、その人がどのような人であるかさえも表す。
シナ人が自分の国を愛するなら、その言葉を愛さねばならないという諺さえあるのです。
シナ人はきちんと書くということを一人一人ができなければならない」
しかし、上海の教育者は口をそろえてこう話す。
最近の若者は、携帯電話のメールに慣れ、コンピュータなどによるコミュニケーションに頼りすぎている、若者は「書く」力を失っている、と。
先ほどのcalligraphy(書道)の教室。
30人ほどの生徒がいて、みな12~13歳。
みなパソコンの扱いには慣れている。
何故シナでこれほどコンピュータの授業に力が入れられているかというと、
IT(Information Technology:情報技術)をマスターし、未知の世界への探索心を養うことは、
20世紀を生きる人間として必須であるという認識が強いからである。
しかしそれは、シナの精神的な、かつ根本的な方向転換をも意味する。
パソコンを使うとき、シナの子供たちは、西洋文字のアルファベットを使って文字を入力する。
そして、いくつかの変換候補の中から、最適な漢字を選択、入力する。
漢字を覚えている必要はあるが、実際に書く必要はない。
13歳のハンェンは、ペンを持つまではいいが、そこから先、漢字を忘れてしまい、
何も書けないと話す。
ハンェン「文字を書くときは、それを覚えながら書かねばならなかった。
もしくは、いつも手元に辞書を置きながら書いていた。
しかし、パソコンで入力する際は、キーボードに慣れてしまえばそれで終わり。
そのほうがずっと楽チン」
放課後、生徒たちは授業で使った、墨で真っ黒の筆を洗う。
この書道の授業は上海のすべての学校で必須となり、
試験でも書道科目を受ける必要がある。
古代から続く、子供たちにとって難しいといわれる書道が、近代技術の猛威に立ち向かう精神的強さを彼らの中にはぐくんでくれることを、
上海の教育者たちは願っている。
(BBC Global News 神無月十二日 配信分より)
シナとはいわゆるChinaのことですが、
この国は文革ぐらいのときに、昔からあった漢字をかなり簡素化してしまったそうな。
今この国の漢字は、かつての「たをやめぶり」のような勢いをなくし、
かなり弱々しい文字になってしまっているのだそう。
翻って、今シナに合併される危険をはらむ台湾。
ここでは毛沢東・文革の影響はほぼなく、古代からの漢字を今も使い、
迫力のある言語を駆使している。
同じ言語体系、漢字を使う国であるのに、
シナが異常に見えて台湾がまともな国に見えるというのは、
このような違いのせいなのかもしれません。
それにしても、上海のある子供が、ペンを持っても文字が書けないというのには少々言葉を失いました。
今の日本の子どももパソコンには慣れているとはいえ、
文字を書けないということはないでしょう。
学校でも昔から書道の授業はありますし、
巷には書道教室というのもまだ多く見られます。
まぁこの記事も上海のことだけを取材していますので、
シナ中全てがこのような状況であるというわけではないと思いますが…。
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