2009年4月22日水曜日

sakura

Pod Castで聴く英国のニュース 第46回。 

今回は、富士山とともに、日本を代表する自然の景色、 
さくらについてです。 
英BBCで、日本の花見を取材したリポートがありました。 
日本の伝統行事ともなっている花見が、 
欧州でどのように報道されているか、 
ご興味があれば、お読みになってみてください。 

英BBC From Our Own Correspondent から。 


‘Cherry Blossom in Spring’ 

春の桜の花ほど、気持ちを高揚させ、かつ落ち着かせてくれるものはあるだろうか。 
多くの日本人がこう感じている。 
桜を見、その木の下で食べたり飲んだいるするという花見(cherry blossom viewing)は、 
日本では国家の伝統行事のようになっている。 
日本各地で花見の光景が見られる今。 
しかし、戦後最悪とも言わるeconomic crisis(経済危機)を背景に、 
今年の日本の花見には少し違った光景がみられる。 

BBCのリポーターが東京で取材した。 

日本の冬は、寒く、長い灰色の時期である。 
そして、温かな春は一層待ち焦がれるものである。 
3月上旬になると、ただの黒いだけの木に見えた桜に変化が表れ始める。 
そしてその数週間後に、一気に開花するのである。 
その花のあまりの元気良さに、 
桜並木や桜の木の多く植えてある公園は、 
まるでピンクと白の雲に覆われているかのようになる。 

日本の首都である東京は、 
他のどの都市よりも多くの人口を抱える。 
そしてこの多くの人々すべてが、春の桜を待ち焦がれている。 
東京の桜の名所である上野公園では、あまりの人の多さに、 
何が何だか分からないほどになっている。 
アマチュアの写真家はあちこちにいて、 
携帯で淡いピンクの花を撮っているものもいれば、 
友人を桜をバックに撮っている人もいる。 

日本では季節ごとの自然の移り変わりを祝う習慣がある。 
秋の紅葉の時期や、初夏の田植えの時期などである。 
そのなかでも、桜の時期の花見は、 
とくに大事にされている。 
過去何世紀にもわたって、日本のaristocrats(貴族・皇族)たちには、 
桜の時期になると、その木の下を歩き、 
もしくは座って短歌を詠むという風習があった。 
blossom appreciation(桜の花をよく観察する)ということが 
日本人にとって、伝統的な文化であり、 
ここに'mononoaware(もののあわれ)'が一番よく反映されている。 
mononoawareは、移りゆく自然のなかに美を見出す意識のことである。 

最近では、毎日の天気予報の後に、ある「便利情報」が流れる。 
‘cherry blossom front(桜前線)’のことである。 
気温が上がるにつれ、日本列島を南から北へと移動する、 
花の「前線」である。 
日本で最初の桜前線は、1月初旬に沖縄にやってくる。 
首都東京では、気象庁の職員が、 
靖国神社の桜を毎日注意深く観察する。 
ちなみに、この靖国神社は、 
日本の政治に関連して、よくニュースで登場する。 
日本の天皇のために、特に太平洋戦争で戦死した、 
約250万人の御霊のために建てられた、メモリアルである。 
太平洋戦争時のA級戦犯も祀られているところで、 
日本の首相が参拝する度に、話題になる神社である。 
戦地へ赴く兵士は、しばしば美しくもはかない桜の花にたとえられる。 
「靖国で会おう」これが戦地へ赴く兵士の会話の中でよく出てきたという。 

靖国神社の中に、フェンスに囲まれた、特に珍重されている桜の木がある。 
この桜に5つ~6つの花が咲いているのが確認されると、 
東京の桜の季節が正式に始まったということが宣言される。 
そして、数週間の楽しい花見の季節が同時に始まるのだ。 

reserving task(場所取り)は、花見ではとても重要な仕事だ。 
会社では、新人がこの場所取りの任務を与えられる。 
日本では、桜のこの時期に学生が社会人になる。 
立派な建物での入社式を終え、一斉に社歌をうたった後は、 
ブルーシートを持って桜の名所へと駆り出される。 
今日も朝から新入社員ぽい若い男女がブルーシートを敷き、 
段ボール箱の机を用意しているのを見た。 

今年の花見は、戦後最悪と言われる景気停滞期を背景に行われている。 
多くの製造業が苦境に立ち、 
特に車や電機産業は輸出の落ち込みによる打撃が厳しい。 
伝統的な日本型経営に陰りがさし、 
いわゆる大企業でほとんどの新社会人が新たな生活を始めるという過去のスタイルは 
一般ではなくなってきている。 
政府による企業名公開のリスクがあるにもかかわらず、 
内定取り消しを行う企業も多い。 
花見にいる新入社員へのインタビューで一番多く聞かれた言葉は、 
‘I'm lucky to have a job.’(職を得られて幸せです)だった。 

(BBC From Our Correspondent April 18 配信分より) 


経済停滞といっても、 
やはり花見はなくならない。 
時代がかわっても、花見で新しく仲間になったメンバーを本当の意味で迎え入れるという習慣が続いているというのは、 
やはり私たち日本人が桜の花に特別な思いを抱き、 
それを心の奥底でずっと忘れずにいるからであると思います。 

2009年4月11日土曜日

soy sauce

Pod Castで聴くワールドニュース第45回 

今回は醤油に関して、ある日本人へのインタビューを見つけましたので 
ご紹介させていただきます。 

英The Economist から。 

‘Soy Sauce’ 

日本の寿司が世界的に有名になるにつれ、 
醤油の販売量も飛躍的に伸びてきた。 
イタリアのオリーブオイルやフランスのマスタード、 
ベルギーのチョコと同様、日本食材の代表格である醤油。 
50年以上も前に日本の醤油を世界に広めた、 
キッコーマンのユウザブローモギさんにインタヴューを行った。 

モギさん:我々はまず1957年に米国市場へのしょうゆ進出を試みました。 
それまでは日系米国人や米国に住む日本人へ醤油を販売していました。 
57年に一般の米国人にも販売路を広げ、受け入れられたのです。 
醤油はあらゆる料理に使えるseasoning(調味料)として宣伝していました。 
さらに、しょうゆを使った料理レシピを広めるということもしました。 

記者:「あらゆる料理に使える調味料」と述べられましたが、 
なぜ、日本特有の料理だけでなく、 
このような万能調味料としてのアピールを行ったのでしょうか? 

モギさん:大戦後、多くの米国人が日本に来て、滞在していました。 
ビジネスマンやジャーナリストや学者さんたちです。 
彼らは日本で何年にもわたって滞在していました。 
当時、彼らは醤油を日本料理だけでなく、米国の料理にも使っていたのです。 
それを見て、思ったんです。 
醤油は、日本食だけでなく、様々な料理に合う万能調味料だと。 

記者:あなたは米国留学中、 
米国で醤油マーケットを開拓することにご尽力されてましたね。 
どのように実現されたのですか? 

モギさん:大学の夏休みなどに、宣伝マンとして働いたのです。 
スーパーなどでのデモ販売です。 
醤油を使った肉料理の試食を提供したりしましたね。 
おおくの米国のお客さんが醤油の肉料理を気に入ってくれました。 
ここで、米国で醤油マーケットは成功すると確信しましたね。 

記者:醤油というのは製造はそんなに複雑な工程ではないですよね。 
醤油製造に必要な材料・過程を教えていただけますか? 

モギさん:soy beans(大豆)とwheat(麦)が主な材料です。 
まず、大豆を蒸し、麦を炒ります。 
そこにあるenzyme(酵素)を加えます。 
そこから発酵が始まります。 
そこで塩水を加え、大きな樽に移し替えて、 
4~5か月熟成させます。 
さらに圧力を加え、それをろ過します。 
最後にボトル詰めして、できあがりです。 

記者:キッコーマンさんは300年以上もの長い間醤油造りを続けていらっしゃいますね。 
御社の歴史を簡潔で結構なので話していただけますか。 

モギさん:17世紀、東京の北東の市、野田というところで醤油造りが始まりました。 
その90年後ほど後に会社となり、大戦後に株式上場企業となりました。 

記者:醤油は新たな発想から別の食品とのコラボレーションも実現されていますね。 
醤油アイスクリームというものがあると聞きました。 
どのようにアイスに醤油という発想に至ったのでしょう? 

モギさん:醤油というのは実は200種類以上もの味があるのです。 
そのうちの一つに、バニラ風味のしょうゆというのがあります。 
それをアイスクリームに使っているわけです。 
実際、野田にある製造工場にはちいさなカフェがあって、 
そこで醤油アイスクリームを販売しています。 
評判はいいですよ。 

記者:私も頂いたことがあります。 
おいしいですね。 
他にどんな意外な食品と醤油をコラボレーションさせているのですか? 

モギさん:甘味にしょうゆを含ませるというのは多いですね。 
ヨウカンをご存知ですか? 
‘bean paste cake’です。 
一部のヨウカンには醤油が使われています。 
醤油を使ったビスケットなんかもあるんですよ。 
本当に万能調味料ですよね。 

記者:中国について質問です。 
中国はこれまで同様、今後もとてつもないマーケットとなっていくはずです。 
中国戦略を聞かせていただけますか。 

モギさん:我々は2002年に中国に工場を作りました。 
中国というのは格差の大きな国で、 
中国では貴重品である醤油を購入できるのは、 
裕福な層の人々だけです。 
しかし、WTOにも加入し、国際社会へと 
門戸を開いた中国は、 
今後中間層の形成の拡大につれ、 
非常にわが社にとって有望な国となっていくと予想しています。 

(The Economist April 11 配信分より) 

上記でも書いてありましたように、 
醤油というのは世界的に有名な調味料となっているようです。 
モギさんのご尽力のせいもあるかもしれませんが、 
醤油の味の普遍性というものもあるかもしれません。 

フランスの老舗レストランガイド、ミシュランの発行した、 
「ミシュラン東京」によると、 
東京は、パリをしのぎ、 
世界でいちばん星のあるレストランのある都市とのことです。 
今後、「ミシュラン大阪・京都」の出版予定があるとのことですが、 
東京よりもずっと多くの星を大阪・京都のレストランが獲得することは 
間違いないと言われています。 
国内にパリをしのぐ食文化の地が3つもある日本。 
普遍的な味の価値を持つ醤油の発祥地である日本。 
本当いい国に住んでるな~って思わされます。 
食いしん坊の私だけがそう感じるのかもしれませんが。。。 

終わりです

2009年4月4日土曜日

田舎で遊ぶ

ポッドキャストで聴こー 
ワールドニュース 
44回目です 

新年度早々北朝鮮がbrinkmanshipやってますねー 
ほんまに発射するんでしょうか。 
まぁなんだかんだ言って、 
日本に軍事的被害を加えるような行為はしないと私は勝手に思っているんですが・・・ 
少々心配です。 

で、今回は自然と戯れる話題です。 

英BBC News Pod から。 


‘Estimating the Scale of the Change’ 


英国だけでなく、多くの欧州の国で、 
昔の子供たちはそうであったが、 
最近の子供たちが公園や自然の多い田舎などで遊ぶということが少なくなっているという。 
そんなことよりもテレビ番組やパソコンいじりに熱中しているという報告が多くなされている。 
ある調査によると、自然のおおい田舎で遊ぶという子供は、 
英国で10パーセントにも満たないという。 
前の週に公園に行ったという子供は、25パーセントにすぎなかったという。 

BBCの記者がロンドンのある小学校に行って8歳から10歳までの子供たちに話を聞いた。 

最初の質問。「前に公園に行ったのはいつですか?」 
ある少女:「もう昨年のことだわ。 
外に遊びに行くことさえほとんどないわ」 
記者「外に出ない?」 
少女「うん」 
記者「公園に行くのは好き?」 
少女「時々はね」 
記者「公演は家から遠いの?」 
少女「いいえ。遠くないわ。歩いて数分よ」 

別の少女へ質問。「前に公園に行ったのはいつですか?」 
少女2「公園なんていったことないわ」 
記者「まさか。行ったことあるでしょ公園くらい?」 
少女2「学校の遠足では行ったことあるわ。 
でも、それ以外ではないわね」 

別の男の子へ質問。 
記者「公園行くよね?」 
男の子「うん。毎週日曜日にね。 
ブランコで遊ぶよ。おもしろいよ」 

2つ目の質問。「田舎へ遊びに行ったことはありますか?」 
少女1「ないわ」 
少女2「3年くらい前かなぁ」 
少年1「ないよ」 
少女3「1年前に牧場へ行ったわ」 
少年2「少し前に学校の遠足で田舎へ遊びに行ったよ」 

質問3「田舎でどんなことをしたい?たとえば木登りとか・・・」 
少年1「木登りは面白い!!でもほかには面白いことはないよ」 
少年2「木登りすると変な菌がうつるよ。いやだよ」 
少女1「田舎は楽しいわ。遊ぶものやスペースがいっぱいあるし。 
森に入って探検もできるわ」 

(BBC News Pod April 3 配信分より) 

締めくくりとして、この傾向の原因は、 
親にあるとしていました。 
親が子供を自然の中にもっと連れて行ってやれば、 
子供もそれに興味をより持つようになり、 
自然に親しむようになる、とリポートしていました。 

時代の流れというか… 
日本同様他の国でも多くの子供が自然と親しむ機会を失い、 
ゲームやテレビやパソコンにはまっているというのが現実のようです。。。 
私は小学生のころは、 
島根や山口の非常に田舎なところに住んでいました。 
(島根や山口在住の方には失礼かもしれませんが・・・ 
でも島根・山口をとても愛しています) 
ザリガニ捕りやカブトムシ捕り、 
草野球や木の実探し、 
神社やお寺でのかくれんぼや鬼ごっこなど、 
自然の中で思う存分遊んで育った記憶があります。 

今はこのようなことができる環境がすごく少なくなってしまいましたよね。 
数年前に島根や山口を再訪しましたが、 
やはり私が小学生だった頃とはかなり違ってしまっていました。 
不便かもしれないけれど美しい自然を多く残すということは、 
国の財産であり、子供たちの財産にもなると思います。 
便利さを求めて何でも近代化、というのはやはり間違ってるんじゃないかと思います。