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後六日ですね。
今回はBBC Global Newsからシナのオリンピックメダルに関する話題。
'a forgotten byproduct'
ここ数日のオリンピック競技でのシナチームの金メダル対策の「行き過ぎ」に懸念を抱く人は少なくない。
シナ国内でも、オリンピックに対するこの姿勢を疑問視する人々もいる。
BBCに記者がこの問題に関するシナ国内の現状について取材した。
シナのオリンピック代表選手にとって、出場した以上、メダルを獲得することは、
当然のこととみなされる。
シナにとって、スポーツで優位にたつことは、国家の精神的な増強にとってmetaphor(象徴)であり、
これは冷戦時代から変わらない。
シナの国営メディアは、金メダルにやたらと執着しているようなところがある。
個々の選手が金メダル獲得を目指すのは当然のこと、国家としての全体の獲得数に気に掛ける。
もちろん、この哲学は、どの国のアスリートにも共有される理念であろう。
ウェイトリフトの、ウージンバオ選手は泣きじゃくっている。
l今回のロンドン五輪で彼は銀メダルを獲得した。
なぜ泣いているのか?
銀メダルしか獲れないなんて、国家の恥だ。
そう言って泣いているのである。
この模様はすぐにシナ国内でニュースで取り上げられ、
ある新聞は、シナのメダル獲得に対する異様なまでの執着心が、
選手たちにとってとてつもないプレッシャーになっているとの社説を掲載した。
北京に住むTVプレゼンターで、新聞のコラムニストであるレイチャンギャンはこう話す。
レイ「1960年代や70年代は、シナが失った誇りや栄光をスポーツを通じて取り戻そうという理念に目覚めた時だった。
しかし、この理念も時代とともに変わっている。
金を獲れないといけない、金を獲れないのは恥だという風潮になってきてしまっている」
先ほどのウエイトリフター、ウージンバオ選手だけではない。
バドミントンでもこんなことがあった。
シナ代表のペア選手。
金メダル獲得を目される注目選手であった。
すでに決勝ラウンド進出決定の彼女らは、ある試合でわざと負けた。
余力を残し、次のラウンドで有利に戦うためであった。
彼女たちは失格となった。
レイチャンギン氏は彼女らについてこう述べる。
「彼女たちがやってしまったことは良く分かる。
金メダルを獲ることだけがシナの選手の目標であり、
そのために手段を選ばずこのような結果になってしまった。」
多くのシナのエリートスポーツ選手にとって、その「代償」は幼少期に始まる。
北京五輪の前にBBCが取材に訪れた際、
あるジムで小さな少女が、思い切り強くこぶしを握りしめ、
どんなに痛くても我慢するよう強制されている場面を見ていた。
その子は涙をこらえ、トレーナーの指示に従っていた。
このようなエリート養成ジムは4歳からジム生の受け入れを始め、
そこからmedal producing athletes(オリンピックメダル量産選手)になるための過酷なトレーニングの日々が始まる。
ジャンウーシャンは、このように、幼少期のほとんどをエリート養成ジムで過ごした。
努力の末、彼は五輪代表選手に選ばれたが、
28歳となった今は、けがや故障により引退、
なんと北京の路地で物乞い生活を送っている。
彼は、シナ政府のオリンピック政策の'a forgotten byproduct'(忘れ去られた副産物)なのだ。
ジャンウーシャン「小さいころから、スポーツ精神同様、国に対する忠誠心を持つよう強く指導されてきた。
国のために勝利することはある種の神聖な使命であると思ってきた」
このシナ政府の姿勢が、この騒動を巻き起こす。
先週、あるアメリカ人の水泳コーチが、水泳で世界新記録で金メダルを獲った16歳のシナ人選手に薬物疑惑があるとして世界にぶちまけた。
16歳の彼女は、6歳のころから水泳を始めて、努力を重ねた結果であり、薬物など使用していないと反論した。
シナ人の金メダルに対する手段を択ばない姿勢がこのアメリカ人コーチにこの発言をさせたのであろう。
いずれにしろ、シナ国民も、金メダルに対する異様なobsession(執着心)をもつシナ政府の姿勢に疑問を抱いているのは確かであり、
シナ国民が物議を醸すことでこの姿勢が変わっていくことを私たちも願うのみである。
五輪でむやみに金を獲ろうとせずとも、シナの国際的地位が50年前に比べて大きく変わっていることは、誰もが認めるところなのであるから。
(BBC Global News 8月6日 配信分より)
他にも、シナ政府メディアが、カザフスタンなど中東アジア出身の金メダル獲得選手を
「あれは中国人だ」と放送したというのもありましたね。
五輪のメダル数で世界評判を高めようというのは、
共産主義国家の常とう手段。
冷戦時ソ連のメダル獲得数が異様に多かったのもそのためです。
まぁソ連は米国との対決という意味もあったでしょうが。
シナのエリートスポーツ選手養成ジムの話が出ていましたが、
ここで幼少期からメダル量産選手になるためにトレーニングを続けるシナ人たちは、
スポーツ、しかもただ一種のスポーツ(卓球だけ、水泳だけ、体操だけなど)しか教わらず、
一般教育等はほぼ教わらないそうです。
だから彼らのような人間は、礼儀や常識を全くわきまえていない。
ジャンウーシャンのように五輪選手として使えなくなって捨てられてしまえば、
世の中をどうやって生きてけばいいか分からず、
物乞いでもしないといけないという現実があるわけです。
その点、日本の五輪選手は、一般教育もきちんとこなして普通の礼儀や常識もきちんとわきまえた人物であり、かつ、
メダルを獲るという、バランスの良さがあります。
まぁ日本人選手以外もそうでしょうが。
とにかく「数」を求めて手段を択ばない、その過程は世界の国々から批判されているという子のシナ政府の姿勢は、
五輪選手養成だけに限ったものではないことは確かでっすね。
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