2009年2月16日月曜日

レバノンの結婚事情

Pod Cast で聴くワールドニュースの39回目。 

今回は、レバノンから結婚に関する問題を 
見つけましたので、書かせていただきます。 

加CBC The World This Weekend より。 


‘Secular Marriage’ 


レバノンである3組のカップルが、 
敢えて2月14日のバレンタインデーに、 
ある抗議行動を行った。 
‘I, do!!(誰でもない、私が結婚を決める)’を合言葉に、 
国の結婚に関する法律に抗議したのだ。 
レバノンの結婚に関する法律には、 
多くの問題があるという。 

CBCのリポーターがレバノンの首都ベイルートで取材した。 

ある酒場に友人や家族が集まっている。 
あるカップルの結婚の儀を取り行っている最中。 
進行役を務めるのは、 
この酒場のオーナー、マーク・ダウンさん。 
彼女が彼らを正式な夫婦と認める宣言を行うと、 
白い風船が天井に浮かび、 
壁には結婚を示す印がスクリーンで映し出された。 

結婚式というのは、喜びの行事であるが、 
この国ではprotest(抗議・抵抗)をも意味する。 
ここの結婚式の参列者は、 
‘Civil Marriage(市民の自由な結婚)’の合法化を訴える、 
国の法律に対する‘Protestant(抗議者)’なのである。 
レバノンというのは、その建国以来、 
国によって承認された宗教団体が、 
結婚や離婚、相続や子供の保護監督に関する権利を握っている国なのだ。 
キリスト教徒やイスラム教徒のスンニ派、シーア派やユダヤ教徒が 
それぞれ独自の‘Religious Court(宗教法廷)’を持っており、 
家族問題や個人の問題について監督する権利を持っている。 

これは、違う宗教の法廷では、違うように法律が設定され、 
違うように裁かれてしまうということを意味する。 
例えば、イスラム教の法廷では、 
男性が妻を4人まで持つことは合法であるが、 
キリスト教の法廷へ行くと、これは認められない。 

このような宗教による法律の違いがあることにより、 
自分の都合の良い宗教の法律に従って生活ができるということも意味する。 
イスラム教徒で離婚を望まない人は、 
離婚の難しいキリスト教系の法律を持ち出せばよいのだ。 
このように、レバノンには、 
自分はキリスト教徒でもイスラム教徒でもどちらでもあり、 
どちらでもないと主張する人も多いのだ。 

しかし、レバノンではすべての市民が、 
宗教上のアイデンティティーを持っていることになっており、 
国が情報システムを使ってそれを把握しているという。 
選挙でだれに投票するか、 
どんな職に就くか、 
どのような政治思想を支持するか、 
と言ったことまで、この宗教上のアイデンティティーによって変わってくる。 
そしてもちろん、結婚にも宗教アイデンティティーが関わってくる。 

ある新婚の妻、ハスボーニさんはこう話す。 
「結婚に関する法律は、 
国民がそれを望んでいようがいまいが、 
国が国民に宗教上のアイデンティティーを強制できる、 
唯一の方法なのです。 
我々はある地区に属し、 
その地区の宗教上の結婚法律を、 
国は私たちに強制できるのです」 

1996年に、レバノンの当時の大統領が、 
宗教にとらわれない結婚を国民に認める法律を通そうとし、 
議会も承認した。 
しかし、当時の首相がこれに反対し、実現しなかった。 
大統領もこれ以降、あきらめてしまい、 
結婚に関する法律の改正はそれ以来見込みがなくなってしまったという。 
しかし、最近大きな動きがあった。 
内務省が、国民の宗教に上のアイデンティティー関する情報を、 
「国民情報システム」から切り離すことを決めたのだ。 
これは、レバノンだけでなく、 
一般の自由な結婚が認められていない多くの中東の国にとって、 
ある意味勝利である。 

しかし、まだまだ結婚を宗教から完全に切り離して行うのは難しい。 
本当に宗教と関係のない結婚式を行いたい人は、 
飛行機を使って約200キロも離れた地中海のキプロス島まで飛んでいく。 
そこで正式な夫婦と認められ、レバノンへ帰っていく。 

レバノンでも将来Secular Marriage(宗教的考えから切り離された結婚)が 
行われるようになるのだろうか。 


(CBC The World This Weekend February 14 配信分より) 


日本で結婚式といえば、 
キリスト教スタイルで行う人もいれば、 
男清原のように神道スタイルを好む人もいるでしょう。 
宗教に一見無頓着な日本人のスタイルを、 
「節操がない」と切り捨てる意見もありますが、 
逆に、「宗教に寛容である」と言う意見もいます。 
私は後者の意見を支持します。 
他の宗教に寛容な故に、 
ヨーロッパなどでは当たり前であった宗教戦争というものがない、 
ある意味すごく平和な国だったのです。 
「節操がない」などと自虐的にならず、 
宗教上の争いを起こさせない、 
平和な民という国民性に、 
自信を持っていいんちゃうかなと思います。 


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