2011年3月20日日曜日

Japan’s hydra-headed disaster

英エコノミスト誌の日本の今回の震災に関する記事を掲載させていただきます。



Some natural disasters change history. Japan’s tsunami could be one.


‘tsunami’という言葉は、世界共通で使われる、数少ない日本語のうちの一つである。
このことから日本が自然災害に見舞われることの多い国であるということがうかがえる。
しかし、過去の自然災害と比較してみても、今回のは特に悲劇的である。
記録に残る限り、日本史上最大のマグニチュード9.0という巨大地震が起こり、そしてその後の津波によっていくつもの町が消え去ったのだ。
氷のように冷たい津波の水が内陸数キロにまで達し、破壊された町の瓦礫を海に押し出す。
そして多くの高齢の人や、逃げ遅れた人たちが犠牲となった。
半分以上の住民が亡くなったか行方不明になっているという町もある。

このような危機に瀕して、もともと礼節をわきまえる民族である日本国民がどれだけresilient(苦難に向かって立ち向かう精神を持っている)であるかがうかがえる。
火事場泥棒のような略奪行為はない。
tsunamiの生存者の中でも、文句を言ってわめき散らす人など見つけるほうが難しいくらいだ。
東京ではtax deadlines(確定申告の締切日)に手続きを済ませられるよう、申請者が何時間にもわたって列を作って並んでいた。
この国の至る所で、地震による混乱を最小限に抑えようと、人々がひそかに心に決意しているように思える。
そして多くのボラアンティアの人々が被災地へと向かった。
平成7年の阪神大震災では出動に躊躇したSelf-Defense Forces(自衛隊)も今回はすぐさま被災地へと向かった。
震災前、非常に低い支持率にあえいでいた管直人内閣も、様々な困難に面しながらも、一応日本を秩序ある状態に保っている。
思えば、阪神大震災の時の、当時の政府(村山内閣)の目を覆いたくなるほどの問題だらけの対応は、日本から都市や人命だけでなく、この国の誇りさえも失わせてしまった。

今回の地震による悲劇は日本国内だけのものであるといえるかもしれないが、これはしかし世界中の人々に、解決に長い時間を要する疑問を投げつけた。
市場は、世界第三の経済大国である日本の危機により、大きく混乱している。
日本の中央銀行(日銀)は資金の大量注入により、金融パニックの風評が起こらないよう躍起になっているように見える。
専門家の予測によると、今回の震災による被害総額は、再建に10兆円を要した阪神大震災を多少上回るほどの金額であり、かつこの程度の金額は日本の経済を破綻させるほどのものではないとしている。
もちろん、電力供給のトラブルが起きていることは、成長を鈍化させ、その影響は近隣のアジア諸国にも問題を起こすかもしれないが、新たなインフラなどへの投資が震災による経済衰退を相殺してくれるであろう。

このような予測も、nuclear crisis(核の危機)の状況が悪化すれば、変わりうると言っておかねばならない。
爆発があり、炎が上がり、放射能の濃度が平常時より高くなっている原因となっている福島第一原発にヘリコプターによる散水が始まった。
日本のnuclear industry(核産業)は、隠蔽と失敗の歴史であった(もちろん表に出ることは少ないが、危険と常に隣り合わせの核施設での作業員たちは英雄である)、そして今回放射能漏れの問題を抱える原発を管理しているTEPCO(東京電力:Tokyo Electric Power Company)も残念ながら、これまでの歴史と同じ轍を踏もうとしているように見える。

今回の核の事故がスムーズに収束し、漏れ出している放射線の量が国民に健康被害を与えるレベルのものでないと判明したとしても、日本内外の核産業に与える悪影響はとてつもなく大きいものとなろう。
Germany(ドイツ)は、核施設の延命措置を取りやめる決断をした。
米国での新たな核発電所(原子力発電所)の建設は取りやめになる公算が大きいという見方も出始めている。

中国も自国内での核発電所(原子力発電所)の建設計画を一時的に躊躇するかもしれない。
現在27の核発電所を建設中であり、さらに新たに50の核発電所を建設する予定がある。
しかし、中国共産党は、長期計画では、これらの建設計画を遂行する予定で、一党独裁政権のこの国はもちろん国民からどんな反対意見が出ようとこの意志を変えることはしないであろう。
事実中国は深刻なエネルギー不足にあえいでおり、核発電所の増設や従来の大量の石炭発電に併せ、風力発電やガス発電からのエネルギー供給も大幅に増やす計画だ。

ここに核のジレンマがある。
核に対する安全を保障するには、優れた計画と優れた技術だけでは足りないのである。
核開発を行うにあたっては、責任をあらかじめ明確にしておき、かつ透明性を保つことが重要なのである。
そうして初めて人々から信頼され、かつ信頼に値する核施設を作ることができるのだ。
このことがきちんと出来ている国は今のところ存在しないし、日本もできていないということがこれからどんどん明らかになることであろう。
しかし、本来democracies(民主主義国家:日本や欧米のこと)は、このようなことがきちんと出来るはずなのである。
democracy(民主政治・民主主義)に於いては少数派の意見にきちんと耳を傾けることが原則であり、そうすることで万が一の危険も避けるよう万全の対策を整えるということが可能なはずなのである。
このようなプロセスが、核発電所(原子力発電所)の建設に於いても取られるべきなのである。
したがって、核発電所が容易に乱立するような国は、そのような少数派の人々の意見を聞かないような国、中国やロシアであろう。

しかしだからと言って、我々は核発電(原子力発電)から目を背けてはならないのである。
核発電は我々に安定したて電気を供給し、エネルギー保障をもたらし、かつ建設中に出るCO2を考慮して上でも、二酸化炭素排出量がゼロであるという点で非常に環境にやさしいという利点を持っている。
また、もちろん事故等で犠牲者を出しているが、他のエネルギーに頼るということを考えれば、核発電(原子力発電)に頼るということのほうが賢明であると思わされるデータがある。
チェルノブイリの事故では、詳細な数字は明らかにされていないが、おそらく20万~30万人が犠牲になったといわれている。
一方、中国での石炭鉱では、毎年2千から3千人の炭鉱夫が犠牲になっており、かつ炭鉱を燃やしたことにより発生する有毒ガスが毎年それ以上の人々を死に追いやっている。
累計すると、20万~30万ではきかないであろう。
それ故、先進国にとって、経済活動上かつ技術上核を持つということにより、世界レベルでの核の安全を保障し核の拡散防止のために高い水準を維持するためという理由だけからではなく、核発電所(原子力発電所)を持つことは、合理的な選択なのである。
もちろん、災害等に直面した時のリスクはあるのだが。

日本ほどこの選択により危機に直面している国は現在ないであろう。
核(原子力)により恐怖にさらされているが、しかしエネルギー保障に於いて自国で生み出せるものとして他の選択肢がない国なのだから。
日本にとって核(原子力)を放棄するということは、さらに大量の石油や、場合によっては石炭を輸入しなければならないということを意味する。
核(原子力)を持ち続けるということは、国家のトラウマに直面するがかつそれを克服するという両方を意味し、また、規模の大小はともかく、放射能漏れという本当の危機に直面するリスクを持つということも意味する。

日本というのは大災難に見舞われることの多い国である。
しかし、その後には偉大なる変革がしばしばあった。
1923年の関東大震災の後には日本は、当時他のどの国も挑んだことがなく、また現在までもどの国も挑んだことのない、米国との対戦へ国力の増強に努め始めた。
敗戦後は歴史上類のないほどの復興を成し遂げ、阪神大震災の後も新たな国づくりに向け、あらゆることを増強した。

今回の震災もこれらのような大きなインパクトを日本国民の精神に与えているということが見て取れる。
日本国民の災害に対する驚くほどの冷静な対応。
このような危機に直面して、国民がstoicism(克己・禁欲)を保っていることに世界中が畏敬の念を示している。
これらはいま日本人が本当に必要としているself-confidence(自国に対する自信)を取り戻すことにつながるであろう。
また、福島第一原発に対する政府の稚拙な対応で露見された民主党政治の崩壊は、国民によるさらなる政治変革要求につながるはずだ。
菅氏が、原発に関する情報は信頼できるものであり、tsunami生存者の苦労を少しでも和らげるために奮闘していると国民に納得してもらうことができている限りは、日本政治の自由化を推し進めることができるであろう。
もしくはおそらく間違った方向に進んでしまう恐れも大いにあるのだが。

自信を失い、政治機能不全の日本に今必要なのは変革である。
日本国民に、今回の震災をdeath, grief and mourning(犠牲と悲しみと喪)の瞬間であるとみなすのではなく、time of rebirth(再生のとき)とみなし奮闘していただきたいと願うばかりである。

(英 the Economist 3月17日号より)

私は阪神大震災での被災経験はありますが、その時なかった危機が今回の震災にあります。
nuclear crisis(核の危機)です。
文章中で原子力発電所のことを「核発電所」と表記しました。
原子力発電所は英語で‘nuclear power plant’。
直訳すると「核発電所」なのです。
非核三原則というよくわからないモノがあるために、「核発電所」ではなく原子力発電所という言葉を使わざるを得なかった。
つまり私たちはずっと騙されていたわけです。
電力会社と政府は、「核」を扱っているとう危機感を持ってこれまでnuclear power plantを管理してきたのでしょうか。
現場の社員の危険を顧みない奮闘ぶりには頭が下がりますが、それを管理・管轄するほうにずっと危機感というものが足りていなかったことが今回の原発問題につながってしまったのだと思います。
しかし、こうは言いながらも、やはり核発電を日本は放棄してはならないと私は思います。
もともとエネルギー資源は無に等しい日本。
石油などを海外からの輸入に頼っていても、地政学的リスクは非常に大きくい、永続的に安定的に供給してもらえるかというとその可能性は低いと言わざるを得ない。
資源がないという日本の弱みをカバーするのが、高い技術力という日本の持つ最大の強みである。
プルサーマルや高速増殖炉を活用し、有限なウラン資源を有効活用することにより、国内で資源がなくともエネルギーの供給を十分に賄えるという技術を持つ日本、更にこの技術を世界へと輸出し、世界的なエネルギー不足問題の解決につなげるという使命を日本は持ち、そして果たすべきであると思います。
福島原発については、マグニチュード9.0の地震は想定していなかったとのことですが、ならばマグニチュード10.0の地震を想定し、原発の建設や再建を推し進めればいいだけの話ではないかと思います。
というかこのレベルの地震が起これば原発どうこう以前の問題で、国がなくなるほどの大きな被害をもたらすのだと思いますが。
今回の件で日本国内でもまた海外の多くの国でもnuclear power plantに対する懸念が多く聞かれます。
「危ないからやめろ」と口で言うのは簡単ですが、果たしてそのように言う人は実際に日本から核発電所がなくなったらどうなるのか想像できているのでしょうか。
文章中にもあった通り、やはり私たちは続けるにしろやめるにしろ、それから目を背けてはならないのだと思います。

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