2011年3月26日土曜日

Japan's Disaster - A crisis of leadership, too

英The Economist Print版から。

Japan's Disaster - A crisis of leadership, too

The many-headed catastrophe points to deeper-seated problems in governing Japan (次々と起こる困難により、日本の統制管理における根の深い問題が浮き彫りになった)

数十万もの日本の一般市民の生活が地震、津波、火事、そして日に日に深刻になっている核(原子力発電所)の恐怖により一変してしまった。
世界中の人々が日本の動きに注目しているが、何より震災の生存者の落ち着いた行動―stoicism(忍耐・我慢)という言葉がふさわしいのだろう―に驚嘆させられている。
市民が先導する震災への不休不眠の対応はしばしば見られるが、不便をこうむっていることに対する不満等が聞かれることはほとんどない。
今、被災者の方の懸念は、水や食料、燃料などの不足から生じる不都合ではなく、自分たちの町を再建できるかどうかに向いている。

stoicism(忍耐・我慢)を貫くことは、どんな運命をも受け入れるという、なかなか真似をすることのできない生き方である。
また、全く知識がないのに何かの機械の操作を行おうとするときにもそれは発揮される。
そして、そんなstoicismを備えている日本人は、自然が時々起こす天災に対し、どんな運命でも受け入れるという心構えができている。
しかし、そんな彼らも、この経済的に発展し、統制のとれているはずの国で何故、温度の上昇を続けるnuclear plant(核発電所→原子力発電所)に対する政府の対応が手遅れになるほど緩慢で、かつ、何故tsunamiの被害を受けた地域への物資等の配送が滞っているのか、理解できない。
水や食料、暖気の不足は、被災者を一層苦しめるはずだ。
史上まれに見るほどの災害であるが、行政の判断次第で、防げた不幸もあるはずだ。
政府のシステムが、日本国民を疲弊させている。

このように政府を批判するのは、やり過ぎである思われるかもしれない。
最初、日本の首相である管直人氏は、徐々に取り返しのつかない状態になりつつあった、Fukushima Dai-ichi(福島第一原子力発電所)のmenacing situation(恐ろしい状態)に気づかず、楽観視していた。
菅内閣はまた、以前の内閣に比べ、はるかに透明性が低いということも指摘されている。

1995年に発生し、6400人もの方が亡くなった阪神大震災時の内閣も、菅内閣との比較に値する。
当時の村山内閣の対応は目を覆いたくなるほどひどく、韓国の方が村山内閣よりも早く、日本への緊急援助隊を結成したほどであった。
日本のマフィアと言われるYakuzaが、一番初めに当時被災者への食糧の供給にあたったという報告もある。
しかし皮肉というべきか、この阪神大震災で自民党(阪神大震災当時の村山政権は社民党)の戦後長期政権に対する不信感が増大し、管直人氏の率いる民主党に光が当たり始めた。
Kobeの件で、日本の政権が無能者に委ねられているということが示されてしまった。
このことは、当時漂流を始めていた日本が、かつての輝きを取り戻すべく、過去に対する省察を徹底すべきだとの風潮が起こることにつながった。
lost decade(失われた10年)といわれる期間が日本にはあるが、その間に日本はすべてを失ったわけではなかった。
「市民から政治を変えていく」というムーヴメントが起こり、その波に乗った自身も市民活動家出身である菅氏と彼の作った民主党は躍進し、平成19年の衆議院選で圧勝した彼とその党は、より信頼のできる政治を市民に約束した。

しかし、今回の震災で、民主党の政治システムがまだ未熟で、政治家による主導がまだ必要な部分があるということが示された。
一例をあげると、絶対必要なはずの、政府と核(原子力)産業との緊密な連携が取れていないということが顕になったこと。
更にいうと、彼らは議論を封鎖し、へまを隠し、楽観的すぎる想定ばかり国民に示している。
問題の発電所の管理者であるTEPCO(Tokyou Electric Power Company:東京電力)は、指揮命令の能力がまるで皆無であることも国民に曝された。

同様のことは、tsunami生存者に対する支援についても言える。
菅直人氏は先頭に立って事態に対処しているように見せているのかもしれないが、官邸では東北地方での惨事が他人事のように感じられているような雰囲気があるような気がしてならない。
それはやはり、福島の核発電所の状況がほとんどすべての政府関係者たちの注目を集めているからであろう。
被災地へと自ら出向いた政治家というのは、ほとんどいない。
多くが東京に本部を置く日本のメディアは、被災地での飲料・食料の供給状態がどれだけ深刻であるか、適切に伝えきれていない部分もある。

しかし、ビジネスマンや犠牲者たちは、よく分かっていて、物資が行政による不備でなかなか被災地に届かないのだと知っている。
東北地方へと続く高速道路は、救援物資を運ぶトラックのためにempty(からっぽ、車が全くと通らない)状態なのだが、肝心のそのトラックがガソリンがなく動けない。
石油配給会社も、需要に間に合わず、切羽詰っている。
初めから菅氏がstate of emergency(緊急事態宣言)を発令し、天災が人災に代わる前に、様々な問題に迅速に手を打てるよう、企業や様々な団体が柔軟に対処できる体制を整えておくべきだったのだ。
今でさえ、当局の震災に対する明確な方向性は打ち出されていない。

日本には、指導力を存分に発揮できる政治家が消えてから長い月日がたつ。
首相とその内閣の顔ぶれは次々と変わり、政治機能の停滞を長引かせてきた。
しかし今回の震災は、その機能不全に、情け容赦のない光を当てた。
政治改革を約束したはずの管直人氏は、今こそそれを実行するときにある。
政府に対するこれまでと別の態度を取ることによって、日本の国民も救われるはずだ。
日本人の持つ美徳、stoicism(忍耐・我慢)は逆境を乗り越えるためには必要かもしれないが、今の日本の政治に対しては、それをあまり発揮すべきでないかもしれない。
今こそ、真の政治の変革を求め、自分たちを打ちのめしてきた政治システムに対し、「正当な怒り」をぶつける時なのだ。

英Economist   Print版  3月24日発行分より。

0 件のコメント: